1938年、長崎に生まれる。学習院大学文学部英文科卒。
15歳頃から刺繍を始める。
植木紅匠本部教室をはじめ、 東京・横浜・名古屋の10か所のカルチャーセンターの講師を歴任。
2002年8月8日、没。
15歳で刺繍と出会い、針を持たない日はほとんどないというほど、心魅かれて続けてきた刺繍。どんな時も針を動かすと自分らしくいられると話していた。大学卒業後にすぐお見合いして結婚。名古屋、小倉、戸畑、福岡と転勤で移り住み、行く先々で集まったお友達や2人の子供の友達のお母さん達等への手解きをしたのが教室の原点。
30歳の時、ロンドンに長期滞在し、毎日美術館へ通って芸術の世界に強く影響され、刺繍もオリジナルのものをしたいと心に決め、自分で図案を描くようになった。34歳の時に転勤先から東京へ戻り,夫の両親との同居生活の中、舅のつくる庭の花が可愛らしく、スケッチして図案を起こした。桜やチューリップ、董、薔薇といった花そのもののスケッチから生まれた作品、自宅 の庭の風景作品など、大小500点近い作品を仕上げた。
39歳の時、銀座の「ゆふきや画廊」にて初の個展を開催。それまでにないタイプの刺繍作品の数々に、多くのファンがついた。自宅のお稽古も、お友達の輪を超えて遠くから通ってくる方が多くなり、「刺繍グループ 枝の会」を発足。 41歳で、学習院大学教授の薦めで、当時縫い溜めた中から選りすぐりの作品を集めた画集 「花暦(かれき)」 を出版すると同時に2回目の個展を開催。この独特の刺繍は「刺繍画」と名付けられ、「刺繍は生活品を彩るもの」としていた常識を覆し、テレビ番組に出演した後、一層多くの方に知られることになった。
同じ頃「池袋サンシャインシティ教室」「名古屋松坂屋教室」が開かれ、カルチャーセンター講師の始まりとなる。43歳の時、文化出版局の編集部の女性と出会い、「花刺繍全7巻」「続花刺繍全3巻」が刊行された。全国学校図書館協議会選定図書に指定されたため、ほとんどの図書館に収められ、「花刺繍の先生」と呼ばれるようになった。
教室が次々に増えていく中、徐々にテレビ、新聞、雑誌の記事に取り上げられるようになり、教室業・オリジナル刺繍材料販売業を主とする、株式会社植木紅匠を設立。45歳の和光ホールでの展覧会の様子がNHKの情報番組で紹介され、48歳の展覧会で黒地に「桜」を刺したものを出品、同時に2冊目の刺繍画集 「花綴(はなつづり)」 が刊行され、「桜の刺繍の先生」として親しまれるようになった。一方、両親との同居生活、子育てもきちんとこなし、自分では「ほんとに並みの主婦なんです」と言い切っており、同じような環境の主婦が多くお稽古していて、教室は和気藹々とした雰囲気で行われていた。
国内外の個展(23回)、東京・名古屋の教室選抜作品展(25回)、NHK手芸フェスティバル展(参加4回)、「国際花と緑の博覧会(EXPO’90)」の来賓室での展示など、作品を見て頂く機会が増え、刺繍だけでなく、水彩画や、デザインしたバック、ショール等の販売も始まった。
51歳で未亡人となり、一層刺繍に没頭する日々を送り、作品にも力強さ、迫力が出てきて、可愛い、美しいというだけでなく、幻想的な図案構成で「刺繍」という概念を超え、男性ファンも多い。欧米のキュレイター達に、「刺繍家」「手芸家」ではなく「アーティスト」として高い評価を受けていたのは、作品の独創性や良さだけではなく、図案を描くところから手縫いで仕上げるまで全てを一人でしていたという、極めて珍しい作家だったこともある。
「プロとアマの差は、技術のことというよりも、気性の違いが決めるように思います。気を散らさずに専念できること。物事は無理をしないとできないですから」と言い、厳格とも言える姿勢で刺繍に臨んでいた。常にデザインを考え、図案を起こし、刺繍することで1日の大半を過ごすような、刺繍に魅了され続けていた64歳の生涯は、本当に多くの刺繍仲間に囲まれた、楽しい日々であり、残した作品も極めて多く、短いが濃い人生だったと思われる。
「枝の会」の名前の由来は、良枝の「枝」で、木々が伸ばす枝のように会が発展しますようにという願いがこめられている。
発足当初は、「植木良枝を主宰として、その指導のもとに個性豊かな創作刺繍を楽しみ研究する」という趣旨の団体であったが、植木紅匠設立後は、「植木良枝を囲む会」に、没後は「植木良枝の花の刺繍画ファンクラブ」に変わっている。枝の会は『枝の会だより』という会報誌を年に2~3回発行し、親睦をはかっている。また、2004年春より枝の会会員の方をご招待して、本部教室のある永福町の自宅にて、年に1~2度、植木良枝の作品の内覧会を催している。毎回、テーマを決めて作品が選ばれるこの小さな展覧会は、ゆっくりと鑑賞することができる。入会条件は、ただ一つ「植木良枝の刺繍画」が好きであること。 ページ先頭へ
掲載刺繍本 |
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「やさしい刺しゅう図案集2」 (1975年 雄鶏社刊) |
「小花刺しゅう」 (1975年 雄鶏社刊) |
「らぶりーなう 2・4・6・8・10・12月号」(1985年 オリムパス製絲刊) |
掲載雑誌 |
「家庭画報」 「ミス家庭画報」 (世界文化社) |
「ミセス」 「ハイミセス」 「ミマン」 (文化出版局) |
「ウーマンブティック」 「SOPHIA」 (講談社) 「装飾デザイン」 (学習研究社) |
「TOKYO TODAY」 「カントリークラフト」 (婦人生活社) |
「小原流挿花」 (小原流文化事業部) |
「101本の緑の物語」 (工作舎) |
「婦人公論」 (中央公論社) |
「婦人と暮し」 (潮出版) |
「生活設計ノート」 ((社)家の光協会) |
「月刊美術」 (実業之日本社) |
「美術手帖」 (美術出版社) |
「おしゃれ工房」 「H20」 (NHK出版) |
「JAPAN」 (日本大使館) |
「OHZORA」 (JAL広報紙) |
「らぶりーなう」(1985年 オリムパス製絲刊) |
テレビ番組出演 |
日本テレビ 「おしゃれ」 |
TBS 「モーニングジャンボ」 |
テレビ朝日 「やきたてマドレーヌ」 |
NHK 「関東ネットワーク」 |
NHK 「婦人百科」 |
NHK 「おしゃれ工房」 |
1977年 | 東京銀座ゆふきや画廊にて個展 |
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1979年 | 東京銀座ゆふきや画廊にて個展 |
1981年 | 東京銀座ゆふきや画廊にて個展 |
1983年 | 東京銀座和光ホールにて個展 |
1985年 | 英国オックスフォード、ミルトン・マナー・ハウスにて個展 英国ニューカッスル、エンブロイダラーズギルドにて講演 |
1986年 | 英国ロンドン、フォイル書店画廊にて個展 東京銀座和光ホールにて個展 名古屋松坂屋美術画廊にて個展 東京日本橋高島屋にて「刺繍画・花綴展」 |
1988年 | 東京東急百貨店本店にて著作の原画展(有料) 米国ワシントン市ウォーターゲートホテルにて個展 米国ニューヨーク市ホーティカルチュラルソサイティにて個展 |
1989年 | 米国ニューヨーク市ブルックリン植物園にて個展 |
1990年 | 東京東急百貨店本店にて刺繍画展(有料) |
1991年 | 仏国パリ、ポアンJALにて個展 1992年 東京東急百貨店本店にて刺繍画展(有料) |
1993年 | 独国フランクフルト、JALギャラリーにて個展 |
1994年 | 東京銀座清月堂にて刺繍画展 |
1995年 | 米国アトランタ、ファーンバンク博物館にて個展 |
1996年 | 東京東急百貨店本店にて刺繍画展(有料) |
1997年 | 東京まちだ東急百貨店にて刺繍画展(有料) |
1998~99年 | 米国PS1コンテンポラリーアートセンター(現MOMA別館)に出展 |
2000年 | 米国フィラデルフィア(4月)/フィンランド国ヘルシンキ(6月)にて 「MINIATURE 2000」展に出品 |
2002年 | 東京東急百貨店本店にて刺繍画展(有料) |